輝ける昭和の時代に、「東京砂漠」という歌が大ヒットしました。当時28歳の前川清が、酸いも甘いも知り尽くしたかのような遠い目をして、ドラマチックに歌い上げるこの歌は、無機質な世界に生きる主人公の、嘆き、対峙、受容といった哀しいまでの人生観をギュッと詰めた珠玉の一曲。サバイバル能力が問われる平成の世においては、うつむかないで歩いていくために、知恵と勇気と楽しむ能力が必要とされています。哀しい人生観は横に置き、顔をあげ、視線を移せば、屋上や壁面に植栽が施されている建物が増えつつある昨今。無機質な東京砂漠に、少しずつ、オアシスが出現しています。
カチッとした白い壁面に、流れる緑のタペストリー。
美しい白と茶と緑の世界。植栽は、環境保全に有効な対策だと聞いていますが、このお宅のように、外観とのバランスが考慮された緑を見ていると、改めてデザインの重要性を考えさせられます。加えるアイテムを厳選し、配色やレイアウトを考えて、統率された世界を創る。渇いたのどを潤す水のように、乾いた脳を潤すデザインは、見る人に充足感を与えます。スーツをビシッと決めたお姉さんが、電車を降りながら、首元に、ふんわりとストールを巻いていました。バリバリ仕事ができそうなお姉さんは、そのストール1つで、いい匂いがしそうなお姉さんになっていました。
花がある。ミツバチがやってくる。そして食物連鎖は保たれる。
お花のお手入れは大変です。ですが、見る人を喜ばせたい、そして自分も楽しみたいと思える心のゆとりがあれば、お花の世話は楽しいものになっていきます。春夏秋冬、その時々の庭の植物は、あぁ、春が来たな、夏が来たな、秋が来たな、冬が来たなと、自然の摂理を教えてくれる役割も担っています。ちなみに、庭がある家を持たない私は、この寒い時期、ベランダのプランターを室内に入れ、せっせと植物たちを育てています。バナナの植木×2、パクチー×1、ルッコラ×1。お花について熱く語っておきながら、全体的に食用です。とってつけたように言い訳をしておきます。5月に咲いたパクチーの花、それは、白く可憐なレースのようでした。
ザワザワと農耕民族の血が騒ぐ。
1973年のアメリカ映画『ソイレントグリーン』をご存知でしょうか。
舞台は2022年、ニューヨーク。世界情勢の悪化により、のっぴきならない状況に置かれた一般市民。口に入る物は、配給される合成食品、という背景のもと、物語は始まります。
物語の中では、新鮮な野菜や肉などの食材が、希少な価値を持つものとして描かれます。
現実世界でも、天候不良等の理由で、野菜の価格が高騰することしばしば。
そんな時、近所のじいじが、「食え!」と、じいじの畑から抜いたばかりの葉っぱつき大根を、ゴロンと置いて行ってくれます。ありがたいことです。いつの日か、庭付きの家で自家菜園を持ち、ビタミン不足の若者に、「食え!」と差し入れするのが、私の夢です。
坪庭があるだけで。
昨年、足を怪我して、しばらく入院しました。入院した病院の最上階には、坪庭が設えてあったので、毎日、リハビリと気分転換を兼ね、坪庭を見に行きました。風にそよぐ坪庭は、陽光が降り注ぎ、時に雨が降り注ぎ、入院生活に変化をもたらしてくれたのでした。植物を見つめている間、思考が止まっていることがたびたびあります。何かのきっかけで、ハッと我に返ります。パソコンの再起動のようなことが、自分にもおきているのだと思います。昨夜、街路樹を見ながら帰宅しました。雨にぬれる街路樹は美しく、明日のお弁当のこととかもうどうでもいいやーとヌクヌクした気持ちで布団に入りました。玄関の施錠を忘れていました。
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2014年06月02日投稿
エクステリア・ガーデニング
庭について
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ライター/writer koagari